暗黒大陸への脱出
バレシア湾撤退作戦
ZAC2039年
ついに帝国首都は共和国軍の手に落ちた。ゼネバスの王宮には、ヘリック共和国の旗が高々と掲げられた。
だが、ゾイド星中央大陸のあらゆるテレビ、ラジオ、そして新聞は、共和国軍の勝利よりもはるかに重要なニュースを全土に流し続けた。
「ゼネバス皇帝、首都脱出に成功」
「赤い皇帝専用機、北へ消える」
「北部海岸、バレシア基地にシュトルヒ着陸」
皇帝の脱出先が、帝国北部海岸、バレシア基地と判明した時、人々の頭の中にひとりの軍人の名が浮かび上がって来た。
ダニー・「タイガー」・ダンカン将軍である。
無敵のサーベルタイガー軍団を率いて、自らも「虎」と呼ばれる男。帝国軍敗北の中で、今やただひとつ残った帝国基地を守り続ける勇士。「北海の虎」「不敗の将軍」
共和国司令部は、首都が共和国軍に包囲された帝国最大の危機にも、「タイガー」・ダンカン将軍がバレシア基地にどっかりと腰をおちつけて動こうとしなかったわけを、今、初めて知った。バレシア基地こそが、ゼネバス脱出用の秘かに隠された特殊基地だったのだ。
共和国の人々にとって呪いのように感じられる「タイガー」・ダンカンの名は、帝国軍兵士にとっては希望の光であった。
戦いに敗れ、散り散りになって逃げのび、深い山奥や森林の中、または町中の屋根裏や倉庫のすみに息をひそめてかくれていた帝国軍兵士たちが、中央大陸の全土から歩み始めていた。北部海岸へ。「タイガー」将軍の守るバレシア基地へ。
そのころ、「タイガー」・ダンカンのもとへ急ぐ数万の帝国兵士の第一号ともいえる若き軍人が、バレシア基地の司令室で、「タイガー」将軍の丸太のような腕に抱きしめられ、手あらい歓迎を受けていた。皇帝専用機シュトルヒのパイロット、「タイガー」将軍の最愛の弟、トビー・ダンカン少尉である。
帝国北部海岸、バレシア湾に面した長い砂浜は、おびただしい数の不時着機で覆いつくされた。帝国各地から共和国空軍の激しい追撃をふり切って逃げてきた主力戦闘機、シンカーの変わり果てた姿であった。
「タイガー」ダンカン将軍は、みずから砂浜をかけまわり、傷ついた飛行士たちをあたたかく基地へむかえいれた。
「戦いは終わったわけではない。もう一度力を合わせて、共和国軍を迎え撃つのだ」
生き残った帝国軍部隊が続々とバレシア基地に集結していることを知った共和国司令部は、ただちにサラマンダー飛行隊に攻撃を命じた。しかし北部海岸地方特有の嵐に巻き込まれて、満足に飛行さえできぬ有様。風を避けて低空に舞いおりたところを、「タイガー」将軍自ら指揮するサーベルタイガー部隊の餌食となった。
バレシア基地でこの戦いを見守っていた兵士たちの口から驚きの声があがった。
「『タイガー』将軍の今の攻撃を見たか。岩陰からおどり上がると、一撃で空中に浮かぶ敵の隊長機を叩き落としたぞ」
「ああ、あんな攻撃は初めて見た。あの人はただの虎じゃない。『空飛ぶ虎』だ!」
サラマンダー飛行隊全滅の知らせを聞いたヘリック大統領は、帝国首都包囲戦を終えたばかりの共和国軍主力部隊に命令を伝えた。
「戦いは終わらず、諸君との約束は守れなかった。もう一度銃をとって北部海岸へ転身し、ゼネバスを捕らえよ」
共和国軍兵士は、疲れ切った体に鞭打って、夜も休まずバレシア基地を目指すのだった。
帝国の勝利を信じて
「ゼネバス皇帝を生きて捕らえること」
バレシア基地へ向かうすべての兵士が自分たちの任務をそう理解していた。
ただひとり、ウルトラザウルスに乗って部隊の先頭を行くエリクソン大佐だけが別の命令を受けていた。
出撃前夜、エリクソン大佐は大統領のもとへ出頭を命じられた。部屋では大統領がひとりで彼を待ちかまえていた。
「エリクソン大佐、君はゼネバスと一緒に育てられたね」
「はい、自分は、幼い皇帝の遊び相手として王宮で育てられました」
「だからこそ、私は君にゼネバスを捕らえてほしかった。君が相手ならゼネバスも諦めてくれただろう」
エリクソンは唇を噛んで俯いた。
「エリクソン、ゼネバスは海の向こうへ逃げるつもりだ。そうなったら、もはや彼を捕らえることはできん。戦いは、また何年も伸びることだろう」
ヘリックは、大きなため息をついた。
「もしゼネバスが海へ逃れようとしたら、その時には君の手で…」
そこまで言うと、ヘリックはくるりと背を向けてしまった。
<もう一度おっしゃって下さい>と言おうとして、エリクソンは言葉をのみこんだ。ヘリック大統領の肩が小刻みに震えていた。
自分の弟を殺せと大統領に言わせるわけにはいかない……。
わかりました、大統領閣下。エリクソンは、長い長い敬礼を、尊敬する大統領の背中におくるのだった。
バレシア基地の南で、両軍の最初の戦闘が始まった。全軍をあげて戦うか、それとも基地をすてて脱出するか。命令を待つ帝国軍兵士にゼネバスの決断が伝えられた。
「バレシア基地にあるすべてのシンカーを発進させよ。目的地は暗黒大陸!」
「皇帝をお守りしろ、トビー。敵は俺に任せろ」
そう言い残すと、「タイガー」将軍はサーベルタイガーに飛び乗って、敵の中へ突っ込んだ。
ゼネバスとダンカン少尉を乗せて、外海へ乗り出すシンカー。その時、エリクソンの操縦するウルトラザウルスが浜辺に姿を現した。
次の瞬間、ウルトラの巨砲が火を噴き、巨大な水柱がシンカーを取り巻いた。
「全速前進、前方の霧の中に逃げこめば助かるぞ」
声を枯らして兵士を励ますダンカン少尉。
だが、それよりも早くウルトラの主砲に第二弾が送り込まれ、エリクソン大佐は正確に、狙いをゼネバスの乗るシンカーに据えた
「さようなら、ゼネバス皇帝」
エリクソン大佐は目を閉じて引き金に指をかけた。
その時突然、ボロボロに傷ついたサーベルタイガーがウルトラの巨砲の前に飛び出して来た。ゼネバス皇帝の脱出を助けるために、死を覚悟して居残った、「タイガー」・ダンカン将軍の乗るサーベルタイガーである。
「兄さん、危ない!!」
トビー・ダンカン少尉がシンカーの甲板で立ち上がった瞬間、轟音と共にエリクソンのキャノン砲が火を噴いた。至近距離から砲弾を浴びたサーベルタイガーは、バラバラに弾け飛んで海へ落ちていった。
エリクソンが大慌てで再度狙いを定めた時には、ゼネバスを乗せたシンカーは霧の中へ消え始めていた。
そのシンカーの甲板に立ちすくむトビー・ダンカン少尉の体も、すでに濃い霧で包まれていた。ほんの数秒前に目撃した兄の死が、遠い昔の出来事のように思われた。ダンカン少尉は、酔っ払いのようにぶつぶつと呟いた。
「Eのマークのついたウルトラザウルス。俺は必ず戻ってくるぞ。Eのマークのついたウルトラザウルス。俺はお前を見つけ出してやる。Eのマークのついたウルトラザウルス……」
Eのマークが「エリクソン」の頭文字であることは、無論ダンカン少尉は知らなかった。