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ヘリック最後の決断

マッドサンダー艦隊発進

ZAC2054年5月

 窓から差し込む西日が、ヘリックの俯いた顔の半分を浮かびあがらせていた。
 ベルガー提督は、身じろぎひとつせずに、ヘリックの返答を待ち続けた。
 
「わかった。君の言う通りにしよう」

 ふり返ったヘリックの静かな眼には、もはや迷いの色はなかった。
「この作戦は、絶対に暗黒軍に察知されてはならん。連絡にはHZ暗号を用いよ」
 HZ暗号とは、ごく限られた者にのみ知らされていた最終暗号――ヘリックとゼネバスによって作られた"二人だけの暗号"の事であった。
 
 ZAC2054年5月、暗黒大陸では、エントランス湾まで追いつめられた共和国軍が最大の危機を迎えていた。制空権は暗黒軍によって奪われ、空の補給線は、完全に断ち切られていた。
 中央大陸に残された全てのマッドサンダーを海戦タイプに改造し、海を渡って一挙に劣勢を覆す。海軍提督ベルガーは、ヘリックに海軍としての最終案を打診した。現時点で、暗黒大陸で苦戦する共和国軍を救う道は、他に無かったのだ。
 
 5月10日。海軍記念日にあたるこの日、派手な花火が打ち上げられる中、旗艦ベルガー提督のマッドサンダーが、静かに錨を上げた。全艦発進を告げるHZ暗号が、港から港へ、そしてエントランス湾へと伝わっていった。マッド艦隊、その数三十五。共和国の命運をかけた雷神たちの行進が始まった。

 白い波頭が、マッドサンダーの鋼鉄の頭部で砕け散った。波が高くなっていた。艦隊はいよいよトライアングルダラス(魔の海域)に差し掛かったのだ。
 
「敵機発見!右舷40度。距離3000」
 レーダー員が声を張り上げた。

「来たか」
 ベルガー提督は、通信マイクをひったくった。

「全艦密集隊形をとれ、十分に引きつけ迎撃せよ」
 
 水平線に現れた黒い点が、急速に大きくなって来た。ギル・ベイダーだ。
「ファイヤー!」

 全マッド艦隊による斉射が始まった。乱れ飛ぶ砲弾の中で、ついにギルの翼が弾け飛んだ。​

 両翼を失ったギルの巨体が海中に没した。艦内にどよめきが起きた。
「やった!ギルを落としたぞ」
 しかし、ベルガーの口元は緩まなかった。
「話がうますぎる…」
 幾度も死線を越えて来た提督の直感であった。

 突然、一隻のマッドサンダーが巨大な火柱を上げた。水中用に改造されたギル・ベイダーが、密集したマッド艦隊のど真中に浮上した。

 ギルは撃墜されたのではなかった。すべては暗黒軍の予定の行動だったのである。

解読されていた暗号

 ヘリック大統領宛てに、緊急通信が入った。発信者は、マッドサンダー艦隊司令、ベルガー提督であった。
 
「ギル・ベイダーの奇襲を受け、マッド艦隊は敗走中。我々の行動は、暗黒側に察知されていた模様」
 無念さに満ちた提督の報告に、ヘリックは静かに目を閉じ、腕を組んだ姿勢を崩さなかった。
「何故だ。何故あのHZ暗号が暗黒軍に……」
 
 傍らに立っていた王立中央研究所の技術将校ミューラーが、ヘリックのつぶやきに答えて言った。
「失礼ながら――。弟君、ゼネバス皇帝が、生きて暗黒大陸にいらっしゃるとすれば……」
 ヘリックは、射るような眼でミューラーを見据えた。
「ゼネバスが…、弟が生きている……」
 ヘリックの滅多に動かぬ表情に、喜びと苦悩が入り交った複雑な感情が走った。ゼネバスが生きているのが事実なら、"二人だけの暗号"を暗黒軍のために通訳したのも、ゼネバス、ということになる。
 
 長い沈黙があった。やがてヘリックは、ある決意を固めると、ミューラーに問いかけた。
「オルディオスの試作一号機が完成したと言ったな……。ギル・ベイダーに勝てる可能性は?」
「……1パーセント。しかし、パイロットの勇気によっては、確実な1パーセントです。死んだグラハム大尉が手塩にかけて設計したゾイドですから」
「乗りこなせるパイロットがいるかね」
「一人だけ…」
 ミューラーが答えた。
 
「"暴れ馬"の異名を持つ男です」

​ 改造ギル・ベイダーの魚雷は、残忍なほど正確にマッド艦隊を葬っていった。対潜用の武器を持たぬマッドは、右へ左へと虚しい回避行動を繰り返すばかりであった。

「散開せよ。一隻でも多く生き残るのだ」
 
 そう叫んだ時、ベルガー提督は不吉な爆音を聞いた。天を仰いだベルガーは、瞬時に己の運命を悟った。ギル・ベイダーの第2次攻撃編隊が、散開したマッド艦隊の頭上に、死神の翼を広げて飛来したのだ。

 散り散りになったマッド艦隊は、ギル・ベイダーの敵ではなかった。ビームスマッシャー、ツインメーザー。ありとあらゆる兵器が、まるで演習を楽しんでいるかのように、マッド艦隊に降り注がれていった。
 
「総員、退艦せよ。戦いは終わった」
 傾斜した旗艦マッドサンダーから、救命ランチが海面に投じられた。
 
「共和国は、このまま暗黒軍の手に落ちてしまうのでしょうか」

 去りゆくランチから、艦上のベルガーに若い水兵が大声で言った。
「信じることだ。君自身の力を」
 ベルガーは手を振りながら答えた。

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