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脱出

ZAC2101年12月 デルポイ大陸 共和国首都ヘリックシティ

 繰り返された歴史の悲劇に気づいていた者がひとりだけいた。共和国大統領ルイーズ・エレナ・キャムフォードである。
 
 彼女の絶望感は、いかほどのものであったろう。2年半に渡って戦ってきた憎むべき敵が、同じ血を分けた弟だったのだ。そして今、彼女の街を圧倒的な兵力で包囲する敵将は甥。ムーロア一族にかけられた、血の呪いを感じずにはいられない。
 もうひとつ。絶望感をさらに増すものがあった。旧ゼネバス領民衆の反乱である。ヘリックⅡ世大統領の時代からの、50年にも及ぶ旧ヘリック領民衆との融和政策が一瞬にして消し飛んだ。これが、すべての民衆の幸福を考え、さまざまな苦難に立ち向かってきた結果なのか。鋼の意思が、急速に失われていくのを感じる。
 
 では、降伏するのか? ヴォルフ・ムーロアにすべての事情を明かし、平和のために手を取り合うと? あり得ない。徹底抗戦を望む旧ヘリック領民衆の気持ちはどうなる? 彼らの怒りは? この2年半で死んでいった無数の兵士の魂とその遺族に、何と言えばいい? 大統領は王ではなく、民衆の意思の代行者なのだ。
 ならば、自分のとるべき道は?
 
 彼女の中ですべての結論が出た時、側近の声が聞こえた。
「大統領。首都脱出の手筈が整いました」
 
 側近の傍らに、ひとりの兵士がいた。
「脱出機のパイロットを務めるトミー・パリスであります」
「ロブの腹心だった方ね。静養で本国に戻っていたと聞きましたが、もう傷はよろしいの?」 
「はっ」
「では、貴方にお願いがあります」
 そう言って、エレナは小さな金属ケースをパリスに手渡した。
 
「これをロブに、私の息子に渡してほしいの」

 脱出機に選ばれたのは、完成したばかりのセイバリオン。鉄竜騎兵団のSSゾイドを参考に造られた、高性能の超小型高速ゾイド。その試作機だった。防御の貧弱な小型機で大統領が脱出するとは、誰も思わないだろう。うまくいけば、敵の裏をかける。そんな期待から選ばれた機体だった。コクピットは剥き出しだが、腹部を改造し、大統領の隠れるスペースが確保されている。
 
「出るぞ!」
 
 トミー・パリスが叫んだ。決死の出撃。同時に、共和国防衛隊が最後の攻勢に出た。10数機の高速機も各方面に散る。敵を分散させるためのダミーだ。
 
 だが、それでもパリスの視界に映るのは敵影ばかりだった。右にダークスパイナーがいる。ジャミングウェーブを射たれたら終わりだ。だが、こない。ジャミングするほどの標的と思ってないのだろう。代わりにビームがきた。中口径の武器。だがセイバリオンには、かすっただけで致命傷となる。かわした。頼もしい運動性。こいつが生命線だ。

▲共和国軍防衛隊の最後の出撃。それは、セイバリオンの脱出を助けるための撹乱攻撃。生還の望みのない戦いだった。

▲首部を脱出したセイバリオンだったが、ネオゼネバスの追撃は苛烈であった。ゼロイクス、ガンタイガーからなる幻影部隊がセイバリオンに迫る。

 今度は、、左からバーサークフューラーのバスタークロー。これもかわせた。間一髪。飛び出しそうな心臓を呑みこみ、正面のディマンティスを叩き潰す。
 そして、またかわし、走り、跳んだ。

 
 幾度それを繰り返したか、よく覚えていない。気づいた時、トミー・パリスは首都を抜け、西の荒野を疾走していた。
「大統領。ご無事ですか?」
 
 ようやくひと息つき、パリスはマイクで機内に呼びかけた。だが返事がない。大統領はしっかりとシートに固定されているはずだ。それでも機体を振り回しすぎた。ゾイド乗りでもない大統領が、意識を失ったとしても無理はない。
 心配だったが、パリスには停止して様子を伺う余裕は与えられなかった。モニターが、こちらに向かって急速接近する敵影をキャッチしたのだ。

 並外れた運動性を誇るセイバリオンも、最高速ではイクス、ガンタイガーに及ばない。特にイクスとは、時速60キロもの速度差がある。補足された今、振り切るのは不可能だ。すぐに左右、後方からガンタイガーの射撃が始まった。互いに高速走行。狙いは粗い。それでもトミー・パリスは、セイバリオンが敵に誘導されつつあるのを感じていた。狼の群れに囲まれ、死地に追いこまれた獲物の気分だ。

 気がつくと、イクスの姿がない。多分、追いこまれたこの先にいるのだ。光学迷彩で身を隠し、息を潜めて。絶体絶命。だがパリスは絶望しなかった。絶望するには、守るべきものがあまりに重い。

▲同じ高速ゾイドたけに、クラスの差がそのまま戦力差になる、セイバリオンかイクスに勝つ可能性は、限りなくゼロに近かった。

 パリスは開戦初期、西方大陸オリンポス山でデスザウラー実験体と戦い、全滅した高速部隊唯一の生き残りだ。結果、彼はOSデータを共和国にもたらし、英雄と呼ばれた。だが、仲間と引き替えに得た栄光に、どんな意味があるというのか?
 
 ハーマンとシュバルツの会談も守れなかった。シュバルツは重傷を負い、ガイロスとの和平が遅れ、損害が拡大した。自分に責があると思った。
 
 苦い想い。だが、だからこそ今度は使命を果たす。守るべき者を守ってみせる。この命に代えて!


 パリスはセイバリオンのスロットルをわずかに絞った。敵に気づかれないよう、ゆっくりと。ガンタイガーとの距離が縮まり、砲撃が至近距離をかすめた。恐怖を黙殺して前方を凝視する。瞬きもせず1分、2分。さらに至近弾。そして3分。閃きが見えた。会談の夜、コクピット越しに見たあの閃き。イクスのレーザークローだ。距離はもう200メートルもない。フルスロットル。わずかに加速する。時速で10キロか。それがイクスの間合いを微妙に狂わせた。見えない爪の閃きが届く前に、セイバリオンのブレードは鮮やかにイクスの前脚を叩き斬っていた。

▲イクスの追撃能力を奪ったセイバリオンは、スモークチャージャーを全開。動揺するガンタイガー部隊を振り切り、脱出に成功した。

 追撃部隊を完全に振り切った後、トミー・パリスはその異変に気づいた。セイバリオンの腹部に付けられた隠し部屋のハッチ。それが開いていた。損傷の跡はない。激闘の中、アクシデントで開いたのか、内部から開けられたのか判然としない。確かなのは、キャムフォード大統領の姿がそこにないことだった。
 
 パリスは、半ば放心状態で出撃前に大統領から託された金属ケースを開けてみた。中には3枚のディスク。

 セイバリオンのコクピットで再生する。1枚はゾイドの設計図らしきものだったが、暗号化されているらしく詳しくは読めない。もう1枚は、ハーマン個人に宛てたと思われるメッセージ。「政治を嫌って私の元を離れた貴方には無用な心配でしょうが」という前置きの後、最後まで一軍人としてネオゼネバスと戦ってほしいと告げていた。パリスは知る由もないが、そこには歴史の悲劇を終わらせたいとの想いがあった。己の血脈を知らない息子には、指導者の道を歩んでほしくなかったのだ。
 
 最後の1枚は、すべての共和国民衆に宛てたメッセージだった。「この敗北が終わりではありません。これが、新たな戦いの始まりなのです」と。

優しく、力強い言葉で語られる大統領の民衆へのメッセージ。それが遺言のようで悲しくて、トミー・パリスは流れ落ちる涙を止めることができなかった。

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